2020年度に迫る大学入試改革ですが、現在様々なところで批判的な意見が出ています。
ではどうして入試改革の失敗が懸念されているのか、今回はその理由を分析していきます。
文部科学省が、11月1日に英語の民間試験の活用の延期、12月17日に記述式問題の導入の見送りを発表しました。
目次
東大は英語4技能検定を採用しない
大学入試制度は2020年度から大きく変わることになります。その目玉の1つが、英語4技能を測る民間テストの活用。
しかし、日本一の大学と言うべき東京大学が、英語民間試験の成績提出を必須としないことを決定しました。
一体なぜ、東大は民間試験を採用しないこととしたのでしょうか。
東大が民間試験を採用しない理由
東大が大学入試改革に逆行し、民間試験を採用しないのには、以下の2つの理由があります。
1つ目は、民間試験が英語力よりもむしろ情報処理能力を問う問題になっているという点です。2018年4月3日の東京大学新聞において、東大の阿部公彦准教授が指摘しました。
また2017年12月に先行実施された大学入学共通テストの試行テスト(国語)においても同様の指摘がありました。長文を立体的に読むことで読解力を測るというよりは、雑多な文字情報から必要な情報だけを素早くすくい取る能力を試す問題が多くあったという判断からです。
真偽を問わず様々な情報が溢れる現代において、情報リテラシーは確かに重要です。しかし、教科を通じて本来育みたい能力からは逸脱していると考えているのでしょう。
2つ目は、大学入試の手段と目的が逆転しているという点です。これは2018年10月11日の「朝日新聞」において、東大の石井洋二郎氏が指摘しました
従来、高校での学習を通じて学力を養い、その成果を入試で問うというのが大学入試の形でした。つまり、大学入試という目的のために、高校教育という手段があるという構図です。
しかし、今回の大学入試改革では、大学入試の方法を変えることで、それに伴い高校教育も変えるという発想で議論が進んできたのです。元々英語の民間試験は、高校生が自身の英語力を高めるための1つの手段にすぎないものでした。しかし、4技能が測れるという理由で、民間試験を大学入試に活用することが目的化してしまったのです。
その結果、各高校が民間試験の対策に走ってしまい、高校教育がゆがめられる恐れがあると指摘されています。
自分自身でブレない軸を持つ必要がある
東大の民間試験不採用を始めとして、大学入試改革には多くの大学が懸念を表明しているのは事実です。教育行政の迷走の一番の影響を受けるのは紛れもなく受験生でしょう。
志望する大学によって、新テストのための準備をするのかしないのか、取るべき対策が異なるためです。新テストを実施しない大学を志望していたのに、入試直前で気が変わって、志望校を変更したところ、その大学が新テストを実施していたというケースもあるかもしれません。新テストを実施するか否かが、受験生の志望校選びに大きな影響を与える可能性は否めないでしょう。
まさに混迷を極めている大学入試制度。受験生は気の毒と言わざるを得ません。
しかし、時間は待ってくれず、刻一刻と入試本番が近づいてくるのもまた事実です。先行き不透明な状況でも、しっかりと自分の軸を持って志望大学合格のために準備をコツコツしておくのが大切になってきます。
実際に、大学卒業後に社会へ出れば、大学入試以上に先が読めない世界が待っています。一生安泰と言われていたような大企業に就職しても、成果を出せなければ早期退職を迫られるような時代です。激動の時代を生き抜くためには、世の中の風向きが変わる度に右往左往するのではなく、自分の中でぶれない軸を示し続けることが非常に重要です。
混迷を極める大学入試を難なく乗り切ることができれば、その先の人生でも強く生き抜く力を身につけることができるでしょう。大学入試はその予行演習だと、割り切って臨むくらいの姿勢が大切なのかもしれません。
大学入試改革で日本の強みが失われる
大学入試改革はむしろ、日本の強みを失わせる結果になるのではないかという指摘もあります。今回の大学入試改革は、一言で言えば「知識の詰め込みだけでは乗り越えられなくなる」というのがポイントです。
しかしその改革が、過去のアメリカでの教育自由化と同じ道を歩むや、現在の世界のトレンドに逆行する、長く続かなかった「ゆとり教育」と同じ轍を踏むなどに繋がると懸念されているのです。
一つひとつ具体的に説明していきましょう。
アメリカでの教育自由化
アメリカを始めとする諸外国では、1960~80年代に教育の自由化が断行されました。1960年代はベトナム戦争の真っ只中。アメリカの若者を中心に戦争に対しての批判や反戦運動が高まり、精神的な自由や満足を得ようとする動きが広まっていたのです。
教育界でも「子供のやりたいようにやらせる」ことが重んじられ、強制力を排除した自由度の高い教育が一世を風靡したのです。自由さが重視された教育を通じて、マイクロソフト社のビル・ゲイツやアップル社のスティーブ・ジョブズといった超優秀なIT起業家を輩出されました。
しかし万人が同じ道を辿れたわけではありません。1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任した際、全国の学校で学力調査が行われました。その結果は以下の通りです。
- 17歳のアメリカ人の約13%がまともに読み書きをできない文盲状態である
- 17歳のアメリカ人の約40%が文章題からの推論ができない
- 17歳のアメリカ人のうち、約20%しか説得力のある論文を書けない
このようにアメリカ人の平均学力レベルは惨憺たるものになってしまいました。つまり、自由度の高い教育は超優秀なIT起業家を輩出した傍ら、全体的には基礎学力の低下を招いたということです。
当時、欧米諸国では子供の自殺率が2~3倍に急増した一方、受験競争が激しく否が応でも基礎学力が身についていた日本だけは自殺率が減少していたというデータもあります。学力と自殺の関係は決して無関係ではないと言えるでしょう。
結果的に欧米諸国では、当時「詰め込み型教育」が展開され国際学力調査で1位、さらに経済成長も遂げていた日本を模範とした教育改革が行われるようになったのです。
世界のトレンド
今回の大学入試改革は、旧来型の詰め込み教育を脱却し、思考力や判断力をもっと重点的に鍛えていきたいという教育業界の思惑があります。変化の激しい現代社会では、ただ知識を多く持っているだけでは意味がなく、いかに知識を使いこなすことができるかということが重視されているからです。いわゆる文部科学省が提唱する「知識基盤型社会」です。
知識の多寡よりも、使いこなす能力が大切というのは、間違いないでしょう。現代はインターネットも発達し、知らない情報も調べればすぐに手に入れられる時代です。
しかし、だからと言って基礎的知識の習得を疎かにするのは危険です。なぜなら、基礎学力が欠如していると、調べた情報が何を意味しているのか、全く分からないという状況になりかねないためです。
つまり、「知識を使いこなし、思考力や判断力を磨くことが大切」とは言っても、その大前提は知識があることなのです。世界の教育のトレンドは、日本で過去に否定されてきた「詰め込み型教育」。公文式のような形で計算トレーニングをさせたり、多くの事項を覚えさせたりという形が一般的です。
今回の大学入試改革は、言うなれば初等中等教育において、基礎学力の習得を軽視するという内容。世界では、大学院入試で行われるような内容を大学入試に取り入れようとしているのが日本の教育であり、世界のトレンドには逆行していると言わざるを得ません。
ゆとり教育の再来
日本では、2000年代初頭から「ゆとり教育」が展開されました。先に紹介した諸外国の教育自由化同様に、子供の主体性を尊重して教育活動を行われたのです。
しかし、現在ゆとり教育は行われていません。つまり、ゆとり教育は失敗したということなのです。
元々日本の学力は世界でもトップクラスでした。OECDが実施するPISA(生徒の学習到達度調査)では、ゆとり教育実施前の2000年の調査結果は下記のようなものでした。
- 数学的リテラシー:1位
- 科学的リテラシー:2位
- 読解力:8位
しかしゆとり教育が導入された2002年以降には、2003年と2006年のPISAで連続して順位を落とし、以下のような結果になりました。
- 数学的リテラシー:10位
- 科学的リテラシー:6位
- 読解力:15位
ゆとり教育は基礎学力の欠如を生んだということは明らかなのです。
しかし今回の大学入試改革は、基礎学力がままならない状態において、プラスアルファを求めるというものです。土台が不安定なところにビルを建てれば、いつ倒壊するか分からないのと同じで、基礎学力の欠如は子供一人ひとりに、そして社会全体に様々な影響を及ぼしかねません。
大学入学共通テストは失敗?
大学入学共通テストの導入など、一連の大学入試改革に対しては、多くの批判の声が集まっています。受験生の実態を顧みず、強力に自らの理念を推し進める姿には、失敗を懸念する声も多く聞かれます。
状況を劇的に変えるためには、過去の慣例にとらわれず、抜本的に改革することは確かに大切です。しかし、施策の方向性も不透明な状況、そして大学入試の主役である受験生たちが翻弄されている状況で、果たしていい結果は得られるのでしょうか。
採点面での問題
大学入試共通テストの最も大きな特徴は、国語と数学で記述式問題が出題されることです。択一のマークシート問題は、機械的な採点が可能なため、採点にかかる手間が非常に少ないというメリットがあります。一方で、記述式問題は択一式問題のように、機械的に採点するわけにはいきません。
当然、人間が答案を採点基準と照らし合わせて、一問ずつ丁寧に採点することになります。受験生の数は50万人近くに及ぶため、入試本番では10000人体制で採点に臨むと言われています。
公平な採点を実現させるためには、採点基準を細かく定め、全ての採点者に周知徹底しなければなりません。同じ内容でも、採点者によって正否が分かれるというようなことは、あってはならないからです。
しかし、細かい採点基準を満たすように書かれた解答は、わざわざ記述式で問う必要があるものなのか。選択式で記号だけを1文字書けばよかったものを、受験者の手で書かせるだけになるのではないか。50万人もの受験生が参加する大学入学共通テストで記述式を導入すること自体、無理難題なのではないか、と疑義を抱かずにはいられません。
12月17日に記述式問題の見送りが発表されましたが、その理由の1つに自己採点と実際の採点結果との不一致の大幅な改善は困難、がありました。
結局私大が人気?
無理難題感の強い記述式問題の導入ですが、「大人の事情」により後に引けなくなっているのが現実でしょう。今後、プレテストも実施されないため、予定通り2020年度の大学入学共通テストは実施されるはずです。
受験生の多くは、新テストを回避するために、従来通りの試験を行う私立大学を受験するのではという見方もあります。新テストは対策が立てづらい面が否めず、ただでさえ負担の大きい受験勉強を少しでも楽にするために、私大人気が高まる可能性は高いでしょう。
しかし、文部科学省は私大に入学定員の厳格化を求めているという現状があります。新テスト回避組の学力上位層が、私大を志望することになれば、例年以上に私大入試の倍率は高まり、難度は高まることでしょう。
仮に浪人することになれば、今度こそ新テストを受験しなければならなくなる可能性もあります。浪人生は、現役生に比べて学力的にも経験値的にも分があるものですが、2021年度の浪人生は、むしろ現役生に遅れを取っている状況からのスタートを迫られるかもしれません。
まとめ
トップダウンの強引な改革は、学校現場、受験生、保護者に対して大きな不安を与えています。2020年度の受験生は、体力的にも精神的にも、そして経済的にも負担を強いられることになるでしょう。
しかし、受験生としては「やる」と決まったことに文句を言っていても仕方ありません。自分以外もみな同様に困惑をしているのです。
ならば、新たな受験制度をきちんと理解し、自分なりに戦略を立てて対策を進める。その積み重ねで一気に合格を掴みとることを考えた方がいいでしょう。自分で戦略を立て、試験に挑んだという経験は、大学卒業後のビジネスの現場でも、きっと役立つ力となるはずです。
参照:
東京大学高大接続研究開発センター 南風原朝和『英語入試改革の現状と論点』
文部科学省『知識基盤社会を牽引する人材の育成と活躍の促進に向けて(案)』
国立教育政策研究所『OECD生徒の学習到達度調査(PISA)』
文部科学省『平成31年度以降の定員管理に係る私立大学等経常費補助金の取扱について(通知)』
✔️東大が英語民間試験の利用を非難。
✔️アメリカは教育自由化で基礎学力の低下を招いている。
✔️大学入学共通テストは採点の面で大きな不安を抱えている。